平出隆
一九〇六年の『孔雀船』刊行以来、狷介孤高の詩人、伊良子清白は、二度、決定的に忘れられそうになりました。けれども、彼が世界をとらえる眼の、その高さのゆえに、一九二〇年代と二〇〇〇年代に、かなり奇蹟的なしかたで蘇ったのです。
この期間、その家もまた、忘却と消滅の淵にありましたが、ずっと地上に存在しつづけていました。そうして、わずかの人々の、しかし高さへ導かれようとする強い意志によって、少なくとも二度、解体の危機からの劇的な蘇りを果しました。その二度目を、私たちは目のあたりにしていることになります。ここにはじまり、ひとり清白のことだけではなく、人間の日々の営みがつくり出す、目もくらむような高さについて、海を望む地上に据えなおされたこの家は、静かに教えてくれるでしょう。
私たちはそれを「世界の見える家」のひとつとして数え、他の幾人もの傑出した先人の「家」や「跡」と並べて、屋根も壁も床もない、縦横無尽の広大なミュージアムを組み立てようとしています。
世界へのさまざまな視界をつなぎながら、そして、世界についての研究方法そのものを、野外に打ち立てるようにして。
「伊良子清白の家」展示設計は、鳥羽市と多摩美術大学の共同研究として実施されました。
Art Anthropology2009