Y-4 室 岡崎和郎/奈良原一高

 

奈良原一高
Ikko Narahara

大学院在学中の1956年、個展「人間の土地」によって新進写真家として一躍注目を浴びる。以後国内だけでなく、60年代の一時期はパリ、70年代の一時期はニューヨークを拠点として活動。その写真表現で国際的な評価を受けるのみならず、瑞々しくも極めて理知的な言語によるエッセイの名手でもある。

瀧口修造の依頼によりニューヨーク時代の奈良原が撮影したデュシャンの《大ガラス》写真群は、瀧口の「詩のような」デュシャン論を添えての刊行がめざされたが、その死によって一度宙に浮く。しかし、13年を経た1992年、瀧口の構想メモが入った《シガー・ボックス》写真群とともにみすず書房から出版された。

親友の岡崎和郎と勝井三雄はこのほど、《大ガラス》写真群を再び世に問うことを望み、勝井のポートフォリオ・デザインによるクリスタル・プリント7点が東京パブリッシングハウスで制作された。さらに瀧口の見果てぬ夢、写真と詩による「spacyな本」の実現へ向けて、岡崎は新詩篇執筆に平出隆を希望した。

このたび31点が選び出された奈良原の《大ガラス》写真群に、平出は同数の詩篇で応えた。フィラデルフィア美術館で《大ガラス》の向こうに噴水を見つめた奈良原の眼差しに倣って、平出はこの写真群を眼差しを透過する光学装置の原基とし、美術館内の空間と書物の空間とを重ね見るという試みを行っている。

《大ガラス》写真群に応じる詩篇を平出隆は、傷ついた鳥が絵画から見つめられつつ美術館内をめぐるという構成の下、本展出品作家の群像を書物論に重ねる循環形式の悲歌『AIR LANGUAGE PROGRAM草稿』とした。奈良原へのオマージュは、同時に同時代の美術家たちへのそれとなり、言語と美術の間の「谿」を問う芸術論となる。

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奈良原一高
《デュシャン 大ガラス》
© Ikko Narahara

奈良原一高
《デュシャン 大ガラス》
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奈良原一高
《デュシャン 大ガラス》
© Ikko Narahara