Y の「終わりなき対話」

青木 淳

「終わりなき」ためには、時空の均一が前提とされなければならない。次第に遅くなっていけば、いつか停止してしまうし、逆に速くなっていけば、燃え尽きかねない。ひとつの空間単位の先に、数学的帰納法のように、際限なく、同じ空間単位を待たせておかなければならない。
まずは、等速度の時間と等質性の空間が必要とされている。

 実空間での、無限数繰り返される空間単位体験は、永遠に続く建設を前提にしない限り不可能である。それゆえ、有限数の空間単位での「終わりなき」は、反復する空間単位節の循環という形をとる。
 空間単位の反復は、空間単位を同形とさせるだけでなく、空間単位間の移行形も等しくさせなければならない。等質性をさらに徹底するなら、循環節の終点から次の循環節の始点への移行形を、各空間単位間のそれと同形としたい。すなわち、循環節をひとつの空間単位から成るものとし、循環節と空間単位を一致させる。

 このとき、移行形は屈曲を成す。屈曲していなければ、いま居る空間単位に戻ってこられず、循環しない。正方形平面での、同形空間単位の循環は、卍型の図形となる。空間単位は長方形、移行形は長方形の短辺が次の長方形の長辺の端に当たって直角に折れる屈曲。
 こうしてYは、4つの長方形の室からなる円環鎖に変形される。

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Yはもともと、その天井のつくりに表れているように、正方形が縦に3マス横に3マス並ぶ総計9マスから成る正方形の展示室。それを四畳半畳敷きパターンで分割する。卍を描いて循環する長方形の空間単位は、約12m×7m。中央を縦断する宙の「対話」が挿入されるので、作品への引きは3.5m内外。

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「吊架線」。作品を、床から1.5m高さの宙を中心として等間隔で並べる。その配列を維持する張力で、テグスにて作品を上下に引く。接合はクリップもしくはメバル釣り用ルアースナップ。テグスの上下端を、懸垂線を描く12mスパンのワイヤーで左右に引く。接合は8号ガン玉。設営は東京スタデオ。

 等質性と等速度をもつ時空の感覚は、エピクロスがこの世界の起源においた風景を思い出させる。

原子は、何ものの衝突をも受けないで空虚中を運動してゆくときには、かならず等速で運動する。(エピクロス『ヘロドトス宛の手紙』、出隆・岩崎充胤訳)

 エピクロスは、そこにクリナメン(微かな斜傾運動)が起きるとした。

原子は自身の有する重量により、空間を下方に向って一直線に進むが、その進んでいる時に、全く不定な時に、又不定な位置で、進路を少しそれ、運動に変化を来らすと云える位なそれ方をする。(ルクレーティウス『物の本質について』、樋口勝彦訳)

エピクロスは、雑多と運動に満ちたこの世界が生まれる起因を、そこに見た。 言語と美術の「終わりなき対話」も、言語と美術が等速度直線運動するなら、同じ構図をもつ。

原子は、たえず永遠に運動する。或るものは垂直に落下し、或るものは方向が偏(かたよ)り、或るものは衝突して跳ね返る。(エピクロス『ヘロドトス宛の手紙』、出隆・岩崎充胤訳)

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「透明梁」。幅25cm、背60cm、長さ12m。側面は8mm厚アクリル。上面と下面は1.6mm厚鋼板。アクリルと鋼板の接合は2液性エポキシ系接着剤。フェイルセーフにVHBテープ。アクリル面内にて3ヒンジアーチを構成。構造検証は金田光弘+鈴木芳典。製作・設営はビーファクトリー。

 この状態を生け捕るのが「本」であるならば。「本」が原子に相当するならば。

 左右の壁に美術、そこから等距離に、すなわち中心軸に沿って、言語と美術の対話が等速度で直進する。宙に「対話」が飛び交い、充満する。鑑賞者は、身を屈め、衝突を避け、訪ね歩かなければならない。
 対話が宙にある。対話の力が対話自らを支えているか、宙の力が対話を支えているか。
 上下を引く対話の力が対話自らを支える。引く力の先は上下に渡されたワイヤーで、左右方向に引くワイヤーの力が自らを支える。
 生け捕られた宙が対話を支える。透明アクリル板だけでは落下する。鉄板だけでは落下する。しかし、それらを組み合わせれば、宙に留まり、宙は生け捕られる。
 Yを成す3つの室で対話の力が対話自らを支え、1つの室で宙の力が対話を支える。

 Yの円環鎖の中央には、穴が隠されている。穴というものは空間ではない。あるいは、ないという空間が存在している。この論理もまた、エピクロスの空虚についての論理をなぞっている。
 ないという空間は、室からは存在さえ窺えず、そこに開かれるのは、室から室への移行の瞬間のみだ。
 ないという空間は、「本」が空中に放たれる瞬間をとどめるだろう。

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