封じられて、永遠に──

三松幸雄

 縦長の寸法に断ち切られた、ごく淡い黄白色の堅い紙面。表紙には中央の縦軸に沿って題名と著者名が銀色の文字で印刷されている。紙と文字以外の造作を排した禁欲的な佇まいは、内側に綴じられた世界と外部とのあいだに見えない結界の線を漂わせている。洗練された見かけは、ありふれた日常に埋め込まれた雑多なものたちとのあいだに一線を画してしまうかもしれない。それは多元的な感受性を指向するよりも、確乎たる美的判断を持する構えを示唆している。そこに美学と不可分の政治を指摘することもできるだろう。ヒト動物の感覚や思考の潜勢力のうち、ある限定された範囲内を動かざるをえないというのは、あらゆる現実的な営みにとって避けることのできない制約ではある。そのうえで、人間や人間ならざるものたちが棲まう内在面に─「芸術」の場合、とりわけ感覚や情動の複合体たちが身を据える位相に─どのような線を引き、「作品」を構成する微粒子の群れや時間の結晶をどう配置するかによって、美学と政治の配分もまた変動しうる。

 手元にある『花(静止しつつある夢の組織』の普及版は、縦長の紙面を横方向につなぐ折り本・経文開きの造本を採用している(以下、同書を適宜『花(静止』と略記する)。若林奮(版画)と河野道代(詩篇)の共同制作による本書の原版は、若林スタジオから限定7部で1998年に発行されている。その2年後にギャラリー池田美術で展示が行われ、菊地信義の装幀によるこの普及版が同ギャラリーから刊行された。
 普及版では見開き頁に詩画の1対が現われ、右頁に詩篇、左頁に版画があしらわれている。本文と図版には茶褐色のセピアを基調としたインクが用いられている。左方向への展開に沿って頁の全体を開いていくと、連続する表側と裏側の紙面にそれぞれ9対、計18対の詩画が収録されていることになる。
 制作の経緯として、初めに美術家が版画のシリーズを制作、そしてそれらが詩人に提示され、次いで閉じられ、その後に詩人が版画の印象に応じうる連作詩篇を書きあげたのだという。
 したがって、いわば版画それ自体には、自らの傍らにどのような詩文が書き込まれるのかをまだ知らなかった時間の記憶が宿っており、詩画集となることさえ知らなかったそれ自身の幼年期の生が息づいている。それゆえ、言語から美術へ─言語的な 文彩(フイギユール)から視覚的な 図像(フイギユール) へ─という感受のベクトルが、まずは作品の端々に生じうる、と想定してよいだろう。そのうえで、諸要素のあいだで多方向に波及しうる言語 ­ 視覚的な矢の連関が、 視像(ヴイジヨン)から詩文(ポエジー)へという逆方向のベクトル圏を出現させることになるだろう。

花の線、線の花
 むろん、本作品の内部で一種の意味論的な 境位(エレメント)を構成するこの詩文から版画へという基本的(エレメンタル)な指示とベクトルの向きは、ここでは図像の「意味」を言語的に描写し再現するたぐいの図解や註釈とはなっていない。しかし、版画と詩篇はここで互いにまったく無関連の自律した状態で並置されているわけではなく、両者の遭遇や干渉、逸脱は、端的な偶然に委ねられているわけでもない。むしろ、詩文と視像のあいだにゆるやかに張りわたされた準 ­ 意味論的なベクトルは、具象と抽象のあいだで、互いに他方へと変移した分身をそのつど─見開き頁から頁への移行に沿って─産みだしていくように思われる。
 そのような分身の最も範例的な形象が、文字通り作品の冒頭に、すなわち題名と、詩画の第1双の劈頭に記された「花」という言葉であり、それらが指し示す花のような小さな図像の群れである。 詩篇はこう始まる─

花。
封じられて、
永遠に静止しつつある夢の組織。

 同じ見開きの左頁に掲載された版画には、たしかに「花」という語が対応する現実との類似を容易に連想させる抽象的なモティーフが、和紙のような輪郭をもつ矩形の画面内で「静止しつつある」かのように規則的に配されている。それらの各々は、上から下に放射線状に広がる細く短い〈線〉の束とそのにじみである。画面の左右には、「花」の群れを脇から囲むように、若林奮の作品にしばしば現われるあの連続する〈穴〉が、周辺ないし背後に隈(くま)を曳きながら、垂直方向に1列に並んでいる。画の表面には不規則に細かな線状の傷や斑点状のにじみが残っており、1枚の作品が手作業の所産であるとともに、時間的に腐蝕しつつある有機的な層面を含みもっていることを感じさせる。 
 おそらく、第1双の画面を構成する基本的な図像に関しては、とくに〈線〉の束と〈穴〉の2種に還元できるように思われる。第2双以後、これらに加えて、「花」とは反対に下から上に放射状に広がる細く長めの〈線〉や、連続する〈穴〉の軌道を模倣するかのようなより太く長めの〈線〉が、いくつかの画面内に出現する。画面の細部をより詳細に記述することもできるが、ともあれこの版画作品の全体が〈線〉や〈穴〉の限定された類型とそれらの変奏からなっていることは間違いないだろう。
 作家自身はこうした類型的な要素をより具象的な言葉で記述していたようである。制作のための覚書を記した《所有・雰囲気・振動 NOTES[1]》(1984年)でのタームに翻訳すれば、細く短い線は〈針金の束〉であり、穴は〈自分の入る穴〉、より太めの線は〈川〉もしくは〈骨〉であることになろう。細く長めの線は─同時期の彫刻作品の題名を参照すれば─〈草の侵略[2]〉であり、はかなく美しい花であるよりは、力強く繁茂する〈雑草〉と化している。さらに、これらの図像に独特の遠近法や磁場を与える〈雰囲気〉というものがあり、支持体の余白や傷、にじみのたぐいは、花や枝、緑色の草たちを包み込む〈大気[3]〉をなしているに違いない。

花・蒸気・鉄
 かつて制作用の覚書に書きとめられた〈針金の束〉は、『花(静止』において〈花〉へと変身している。じつのところ、この線の束それ自身は、その長短や凝集、濃淡の度合い、画面内での配置などによって、いくつかの異なる見立てのもとに現われえたようである。それは、たとえば1994年に制作された版画集《Vapour–T.P.》および《Vapour》(いずれも6枚組)の全画面でほとんど主題的に反復される図像であるが、そこではおそらく〈蒸気 vapour〉の形象と化していると見て差しつかえないだろう。
 ところで、この《Vapour》と同系統の「蒸発 Vaporization」というテーマが、すでに1976年の版画作品に現われている[4]。「蒸発」の過程が液体から気体への相転移に関係していることを鑑みれば、この自然現象への関心は彫刻作品《立体ノート─気体、固体、液体、現在 1–8》(1973–74年)のシリーズで明示的に追究されたものでもあったことがわかる(なお、同シリーズの第3番や第7番が、1976年から制作される《振動尺》シリーズの初期モデルのような形状をしている点はあらためて指摘しておいてよいだろう)。そしてこの系列のモティーフが実現された作品の起点には、おそらく鉄の彫刻《犬から出る水蒸気》(1968年)がある。
 水蒸気を彫刻で、それも鉄を素材にしてつくるというのは、奇妙な飛躍や逆説を孕んでいるように見えるかもしれない。けれども若林奮が、いくつかの箇所で、たとえば自然に遍在する「鉄の流動性[5]」について語っていたことを想起するとき、そして自然と人間的な文化とのあいだの様々な閾を透過的に往来する一種の存在論的なアニミズムがそこで文字通りに引き受けられていることを知るとき─そこでは概念と生のあいだの区別がときに消え去ってしまう─これらの作品において、鉄がそれ自身において水蒸気であり、液体であり、植物や犬や人間や崖、さらには時間でさえあるという、諸形態を横断する前個体的な微粒子や情動の群れの新たな配分をともなう経験と実験が行われていることが明らかになる。「鉄の尺度というのは、あきらかに時間との関連を持つ。〔…〕場合によっては、時間は鉄におきかえることが可能なのではないかと思われる[6]」「鉄を樹木などと同様に考えることが出来るということかもしれません[7]」。犬や雛菊と視界を共有し、昆虫や山に沿って諸事物を「観察[8]」し、膨大な時間をかけて根気よく実験と検証を積み重ねていくことで、いわばスピノザ ­ ドゥルーズ的なethico-ethologyを生きる身体 ­ 環境の組織化が「共通の場の上」に、外部なき〈自然〉というひとつの内在面の局所につくりだされていくのである。

以前から私は自分が自然の一部であることを確実に知りたいと考えていた。その確認のために様々なものを観察し、彫刻や絵をつくることが必要であった。〔…〕自分と目の前にある樹や崖や犬は自分と共通の場の上にあるのではないかと気付くことがある。それは、そのあたりを支配する雰囲気に自分が従うからである。その場を自然といってもよい。
「所有・雰囲気・振動─森のはずれ、1981–1984」
[W 241. 強調引用者]

 したがって、版画《Vapour》シリーズの表面を静かに舞う〈蒸気〉たちを、作品に外在する蒸気の運動の抽象的な描写と見るだけでは、作品の課題を逸してしまうだろう。そこには、樹木や時間が鉄の彫刻と〈なる〉ように、ドライポイントの短い描線がもちうる速度や肌理を介して、銅板と水彩インクのあいだに捉えられた「自然」の非人称的な情動が、微細な振動を呈する微粒子の群れそのものとして、紙面から空中へと蒸発しつつあり、そのようにして新たな〈蒸気〉がそこに実在しているのである。
 この〈蒸気〉とほとんど同じ形象の群れが、しかし、同年の版画作品で2種の異なる事物たちに変容する。そのひとつが「煙」であり、もうひとつが「花」である。連作《煙と霧》では、かつての〈蒸気〉がほとんど同じ姿のまま〈煙〉と化して、大きく放射状に広がる〈霧〉や、質朴かつ不明確に描かれた〈遠景〉の傍らに舞う。そして版画集《Flower Drops》において、私たちは『花(静止しつつある夢の組織』とほとんど同じ画面に遭遇することになる[9]

花、背理の音楽
 それゆえ、《所有・雰囲気・振動》連作で彫刻や模型(マケツト)の表面に素描されたまばらな〈線の束〉は、しばらく後に凝集して〈蒸気〉となり、次いで〈煙〉に変化し、やがて『花(静止』において出現と消滅を繰り返す〈花〉へと変身することになる。
 同書の見開き頁には、左側の版画に対し、右側に原則5行[10]からなる短詩形の口語自由詩が配されている。読者は、河野道代によって書かれたそれらの言葉を辿りながら、画に対して詩文が寄り添うというよりは、むしろ清冽に屹立し、ときに峻厳に対峙するといった印象を抱くことになるかもしれない。
 第2双には次のような詩篇が記されている。

ひらきかけのまま
あいまいな地上の渦に引き寄せられて、
青空を花が離れる。
分配される混乱の揺り籠。
それは意味を逆立てるだろう。[WK n.2]

 したがって、「花」は、おそらくほとんど「静止しつつある」緩やかな速度で、「ひらきかけ」の姿を保ったまま、天から地へと落花していく途上にある。この垂直方向の動きは、大地に住まう私たちが図像を見る際に自然と感受する重力のベクトルに沿うものであり、同時に、《Flower Drops》という前出の版画連作の構想とも合致した記述となっている。
 けれども、地上に落ちていく「花」たちを収めていく「揺り籠」─それは「永遠に静止しつつある夢の組織」へと花々を導く最初の 場(トポス)であると思われるが─そこには「意味」を「逆」向きに「立てる」というある「混乱」の相が孕まれていることが、未来推量の文法によって予告される。「揺り籠」とは、たとえば「花」そのものが文字通り描きだされている版画の支持体そのものであるかもしれない。ここには詩篇が版画とのあいだに一種の不協和音をともないつつ書かれ、詩と画が互いに「背理の音楽」を奏でていくという、作品の基調をなす無 ­ 調性についての先触れが記されている。

そのつらなりは背理の音楽、
さまよえる唯一の音と呼び交わそうと
ちりぢりに打たれる孤独の布石。[WK n.15]

 けれども、逆向きに立てられた意味や形象たちとのあいだで、「くいちがった想像力の深みに」は、たしかに「花が浮かんでいる」[WK n.18]という。あたかも、詩篇と版画は、太陽が至点にいたる夏至の日に最も遠く引き離される出現と消滅の時刻のように、

引き合っている反証の、調和の中点で痙攣する
それはうつくしい
日の出、日没[11]。[WK n.17]

 以上は、『花(静止』のテクスチュアを織りあげている複数のプロットのうち、若干の経緯をごく簡潔に辿りなおしたものであるが、以下では、紙幅の範囲内で、同詩画集とは異なるパースペクティヴから、しかし厳密に同じ事柄をめぐって書かれていると思しきいくつかの詩篇や散文を参照することにより、読解と経験のための光源をより複雑化させることにしよう。

花、その振動
 たとえば、河野道代には、若林奮との共同制作からおよそ10年後に上梓された『花・蒸気・隔たり』と題する詩集がある。その題名に記された3つの名辞のうち、「花」と「蒸気」の二者はここまで論じてきた事柄と重なる内容を示唆している。
 ならば、「隔たり」とは何か。それは─モーリス・ブランショが用いる同じ観念が指し示すのと相似た仕方で─2つの事象の〈あいだ〉に生じうる場であるが、しかし空間というカテゴリに類するものではなく、むしろ現実の空間からの位相差によって区別される次元で、ある矛盾した動きが二者のあいだを揺れ動く「振動」として生起し、そこに純粋な差異が生成している、そのような振動する差異の場であると差しあたり言ってよい。
 詩人ステファーヌ・マラルメは批評詩「詩の危機」において、いみじくも「花」を引きあいに出しつつ、この原初的な〈振動〉についてこう述べていたはずである。すなわち、「花」─不在の、「理念そのもの idée même」である甘美な花。それは立ち昇り、現われながら、消えていく、「ほとんど振動的な消失」(presque disparition vibratoire)─「震えながら散乱していく」(éparpillement en frissons)─それは何よりもまず夢にして歌。言われたものは、詩において、虚 構 に 捧 げ ら れ た 芸 術 の 構 成 的 な 必 然 に よ り、 そ の「 潜 在 性virtualité」を取り戻す。名指された事柄たちのかすかな記憶は、こうした詩篇において「まったく新しい雰囲気(une neuve atmosphère)の中に涵(ひた)っている」のである[12]
『花・蒸気・隔たり』において、この振動は「無」とも形容され、たとえば次のような対立しあう述語場の重ね合わせによって記述されている。

現れては消えるもの
それら振動を属性とする物影〔…〕 「風景・移行」[K 75]

出現と失踪とを同一の揺らめきとする
ひそかな自律の文脈〔…〕 「葉・抽象」[K 21]

 出現と消滅という対立しあう二者の離接的形式から、「同一の揺らめき」の場が開かれ、「振動」が生成する。言い換えれば、「二様にはたらく」「関係性」を帯びるこれらの事象は、「名づけられてなお/意味を割って振れていく」ものである[K 78, 90]。そのような事象は、通常の論理的「矛盾」にまつわる諸「定理」とは異質な詩作のわざによって言語的に、かつ「隠されたままの言葉の相のその先」で─かりに「彼方へと突き抜けたその先に/うつくしい解法があるとして」─言葉と韻律のあいだに存在論的な次元での触発を引き起こしうる詩法の探究とともに「記述」されねばならない[27, 75, 69]。
 あるいは、「花を超える/花」のように、「そのものの実在と不在とを同音に告げて」いるであろう出来事の場所、つまりは「物質でしかないわたし」と「そのものの在処」とは[K 91, 42, 64, 41]─

移ろいゆく
時のかたちに積み重なって
現れているのか
在るのか。 「作品Ⅲ」[K 64]

 これらの明澄な「記述」と先-言語的な「直観」とのあいだを往き来する詩篇群は、「現象」と「存在」のあいだで「揺れ動く」事象を解析しようとする芸術の形而上学的な実践であり、「在る」ものとその「境界」をめぐる問いに導かれつつ言葉と形象を書き継いでいく存在論的な詩作の試みである。そこには、若林奮の探究とのあいだで、「虚空」をはさんでずれながら「共振」しあう感覚と思考の配分があり、変化しつつある線やモティーフのさまざまな配置がある[K 37]。

分有・雰囲気・振動尺
 若林奮の作品においても、「振動」はそれが生じる二者のあいだの隔たりと不可分であり、とりわけ、振動と隔たりの場を包み込む「雰囲気」という準 ­ 概念と切り離すことができない。このことはすでにいくどか引きあいに出してきた《所有・雰囲気・振動》という連作群の名がさしあたり文字通りに告示している通りではある。
 だが、「振動」という事象についてはとりわけ次の点を強調しておかねばならない。すなわち、それは─マラルメがすでに直観的に詩作していたように─〈主体/対象〉(主観/客観)という認識論的な配置が固定されてしまう以前の「潜在性」の次元で、そして若林がその造形的実践と散文の試みを通じて探り当てていたように、人間と人間ならざるものがその内に住まう「共通の場」の上で、すなわち外部なき「自然」の内在面─「自分を含んだ自然の雰囲気」[W 242]─において、「自分」とその向こう側の「他」のあいだで、遠さと近さが揺れ動く、そのような経験の限界に発生する不連続な距離構造であり、かつ不連続に揺れ動く「時間」であるのだと。

自分から極めて遠方に、或は非常に接近して、自分自身に接する限界がある。限界に至る不連続な距離は不明である。〔…〕作品が内在している距離は、それ自体不連続な時間を表明している。〔…〕作品はここで時間と重複する。 「(自分から極めて遠方に……)」[W 278–89. 強調引用者]

「光や色とは別のなにかの雰囲気の中に、自分のすべての感性をひたらせることができるかもしれない」[W 277]─「雰囲気」とは、おそらく色や光にさえ先立つところの、内在的な自然から発散する〈気〉の位相であり、作家のような人間も、犬や木のような人間ならざるものも、この〈雰囲気 ­ 自然〉の内に深く棲み込むことで、互いにヘテロ ­ ポリ ­ フォニックに触発しあい、主体化されない情動や微粒子の群を交換しあいながら、互いに「所有」されあう─若林の言う「所有」は、哲学の言語に翻訳すればむしろ「分有」という概念がふさわしい関係を指し示しているだろう。そのような感性的な次元での諸要素の分有を介して、ときに高次の複合体が形成され、かくして次第に広がりを増し、ついには自然の無限にいたりうるのである。

雨の時広い地面に水たまりはできなかったが、微細な水の粒子が空間を満たすのが見えた。乾燥の日々は土の粒が空気に混じっていた。それ以上に空間全体が赤とか緑とか一色になることがしばしばあった。帰り道で犬と人にすれ違った。桑の木のところであった。私は犬を見たが、人の顔は見なかった。「ドッグ・フィールド」[W 276]

 人を見るよりは、犬や木、山の「顔」を見て、自分と向こう側にいる動植鉱物たちとの距離を感じながら、あいだに充満している自然の微粒子に誘われ、人は動植鉱物に変容する。彫刻は大気の赤や緑と化し、版画は蒸気や花と化す。彫刻《大気中の緑色に属するものⅠ/Ⅱ》(1982 / 86年)は、大気に遍在する「緑」の微粒子群を、「鉄の流動性」の内部へと変質させるための隔たりを開き、振動を引き起こす庭 ­ 装置であると言えるだろう。《自分自身が目前の空間を測るための模型Ⅰ/Ⅱ》(1980 / 86年)や、《雰囲気》(1980–2000年)、《中間距離の緑》連作(1985–86年)といった魅力的な小品たちは、そのような隔たりと振動を目の前で確認し、両手で触れうる範囲で把握するためのジオラマ的な実験室である。そして概念的にそれらすべての測定行為に尺度を提供する原基が《振動尺》の構想であり、その連作群であるのだろう。
 振動尺という概念は、飛行機への関心から彫刻を学び始め、自動車の制作にも携わった若林奮にとって、おそらく自らの実験と試行錯誤の歩みを具体的に測定し吟味するためのプロトタイプとして機能しえたはずである。複数の要素間で絶えず変移する無形の「振動」を固形の鉄や木で制作すること、あるいは絶えざる振動を内部に圧縮した「尺」という、いずれにせよ自己撞着的な概念─その矛盾は、振動尺をして単なる無意味以上のものに、すなわち「いみじくも無と呼ばれているもの」に接触させずにはおかないだろう[K 32. 強調引用者]─それは、出現と消滅のあいだで揺れ動く「振動」と、そこにおける真理への問いを記しづける「尺」という、2つの根本事象に芸術を結びつけながら、しかも具体的な活動を潜在的な隔たりと分有の次元に開いたままにしておくという、極めて正鵠をえた発明と創造の所産であるに違いない。
 振動する花を分有すること─大気中の微粒子に属する色彩のただ中で、共通する自然の内在面で、流れゆく鉄の庭に捉えられた人間と花が情動を分有しあう。概念と生が同じ自然であるように、もはや花と人間のあいだに違いはない。銅板と和紙とインクのあいだに挟み込まれた花の形象とその余白は、子どもが言語の内に突然入り込むように、世界の蝶番を不意に回転させて、存在とその自然それ自体が見ている夢の内に観る者を引き込んでいく。
(哲学/現代芸術)

参考文献

* 下記の著作からの引用は略号に頁数を添えて出典を示す。

若林奮+河野道代『花(静止しつつある夢の組織』(ギャラリー池田美術、2000年)。[=WK]
若林奮『I.W─若林奮ノート』(書肆山田、2004年)。[=W]
河野道代『花・蒸気・隔たり』(panta rhei、2009年)。[=K]

  1.  小泉晋弥「煙と霧─若林奮の版画と彫刻」『煙と霧─若林奮展』(若林奮展実行委員会、1996年)、14–15頁にこの覚書の図版と解説が掲載されている。
  2.  《所有・雰囲気・振動─草の侵略及び持物についてⅠ–Ⅴ》(1981–84年)。
  3.  《大気中の緑色に属するものⅠ/Ⅱ》(1982 / 86年)。
  4.  《西風+蒸発+犬》(1976年)、《蒸発》(1976 / 94年)。
  5.  たとえば、若林奮「〔未発表メモ〕」(1988年)。後藤新治「[作品No. 1〜作品No. 8]試論」『若林奮:1986.10–1988.2』(北九州市立美術館、1988年)、8頁に引用。
  6.  若林奮「〔未発表メモ〕」、前掲書9頁。
  7.  若林奮「一つの風景の中で」『新具象』第3号(1982年)、2頁。高橋幸次「反 = 彫刻としての若林作品─鉄、人間像、部屋、自然について」『今日の作家 若林奮展』(東京国立近代美術館、1987年)、11頁。
  8.  「一本の樹の変化について、また、毛虫の変化についてくわしく観察することがよいかもしれないと思え、背をひくくして犬の高さで風景を見ることも、またその高さで一年間の光の変化についてその光を追い、あるいはのがれることもできるかもしれないと思われた」[W 277]。
  9.  ただし、《Flower Drops》と『花(静止しつつある夢の組織』では、版画の配列が異なり、かつ《Flower Drops–6》に替えて別の版画が新たに制作され、後者に組み込まれている。また前者のNo. 4、No. 5には「花」の輪郭に点刻が施された上、後者の第1双、第2双の位置に置かれている。なお、《Flower Drops》の前に、版画連作《FlowersⅠ–Ⅴ》(1994年)が制作されているが、興味深いことに、「花」と題されたこの作品に、『花(静止』で花として現象する図像は描かれていない。そこでは連続する〈穴〉の輪郭が花や植物の形態を暗示しているように思われる。これは〈蒸気〉から〈花〉にいたる相似の形象にとって、「花」という 能記 (シニフイアン)が強い必然性をもたないことをも示唆している。
  10.  正確には、冒頭の詩篇が3行詩であり、経文開きの裏面・第2双、11番目の詩篇が4行詩で書かれている。後者は冒頭の詩篇に新たに1行の詩文が組み込まれたかたちとなっている。
  11.  「日の出、日没」という詩句は、若林が1970–79年のあいだに断続的に制作した同題の彫刻連作群からの引喩でもある。
  12.  « Crise de vers », t.Ⅱ (Gallimard, 2003), pp. 204–13.「詩の危機」松室三郎訳、『マラルメ全集』第Ⅱ巻(筑摩書房、1989年)、225–42頁。