不死、あるいは回帰する生

──エミリー・ディキンソン、モーリス・ブランショ

三松幸雄

死を生きること。生きながら死ぬこと。
この生が決定的に途絶え、生きる可能性が永遠に失われるであろう瞬間を知ること。
明らかに、誰もそのような経験をなしえず、それがどのような出来事であるのかを知ることも、証言することもできないだろう。
いま、私は死んでいる、ということ──それは端的に不可能な経験であるように思われる。
しかし、エミリー・ディキンソンあるいはモーリス・ブランショという名の記された作品たちを、互いに近くあらしめ、同時にかぎりなく遠ざけているであろうトポス─二者のあいだを分かつ隔たりにして、双方を関係づけるであろう空虚な場──それは、まさにこの生における死の経験に、ほとんど死そのものを生きることにかかわっているように思われるのだ。
両者のコーパスは、互いに異質な歴史的文脈の内に織り込まれているとはいえ、そこには不協和な倍音をともないつつも互いに共鳴しあういくつかのモティーフがたしかにある。〈生〉と〈死〉の周辺で執拗に持続する彼らの文学的な記入の実践は、おそらく、まさにそのような関係を二者のあいだに開くものとなっているに違いない。
だが、〈生/死〉という対をなす2つの出来事のそれぞれにかけられた問いの負荷は、双方の文学的な歩みのずれに応じた非対称的な偏倚を示してもいる。
たとえば、不死であること、Immortality あるいは不滅。可死(mortal)であることを否定するこの観念が、同時代の文学界からの隠棲者ディキンソンの詩的生涯に横溢する「洪水の主題 Flood subject」であったことは、彼女の書簡に記されたある控えめな証言によって知られている[1]。これに対し、公論界で文筆を揮ったブランショの言語空間を、その初期の時代からくまなく浸していたのは、死(mort)という事象であり、とりわけ、私たちの生の限界に場をもつであろう死ぬこと(mourir)の経験、そのものとしては不可能な経験としての死にゆくことをめぐる終わりなき省察である[2]
死と不死。これらの観念が二人の文学のあいだで「同一」の事柄を意味しているのでないのは確かであろう。だが、それらの単純な論理的外見が示している「差異」とは異なる次元で、そして二人の──厳密に言えば、「作家」から切り離され、2つの「名」が記された[3]──「作品」群を介して、死と不死のあいだに、〈同一性/差異〉という対立を迂回する別の線が記入されていくように思われる。
彼らの文学において、死と不死はつねに互いに排他的な関係に置かれているわけではない。不死とは、死に対する否定を含意してはいるが、いわゆる宗教的なものへの懐疑を経ずに信憑されるたぐいの「永遠の生」と同一の事柄ではない。とはいえ、テクストのある局面で、不死性の観念がいわば問うに値する事柄として書き込まれていくとき、そこに「宗教」以後の宗教性──宗教なき宗教性──とでも言うべき音域や語調が生じうることは否定できないだろう。神的なものの記憶を断片的にではあれ遺贈する現代の無神論的な探究において、「生き延び」(死後の生 survie; Überleben)の次元がテクスト – 出来事のア・プリオリな構造として捉えなおされるように[4]、不死性の理念は、おそらく、自らの生を書くこと(アウトス・ビオス・グラフエン)──自己に先立つ生の〈自 – 伝 auto-bio-graphia〉──から分離しえない実践としての文学的な虚構そのものが、まさに自らの生と死をめぐって真なるものを証言しようと試みる際に不可欠の観念となるように思われる。
ディキンソンそして/あるいはブランショの文学もまた、互いに異なる経路を通って、〈生- 死〉の過程と不死性の観念が混じりあうトポスに歩みを進めていく。そしてその歩みから、ときに、生の終わりにあって死にゆくとき、ひとは再び誕生し、新たに生きはじめる──したがって、再び死にゆく──そうして同じひとつの生と死が永遠に回帰するという、有限の生と思考の原理にとって根本的に相反するであろう経験が書き継がれていく。そこでは、生から死にいたる不可逆な運命と見えるものが、それらの─同一性と差異を迂回する〈同じもの(ル・メーム) le même〉の──絶えざる中断と再開によって他方へと可逆的に回帰し、かくして誕生と消滅の律動を非連続に刻みながら、自らを永遠に繰り返していくのである。

私の生は終わる前に二度終わった。
それでも私にはまだ残されている
不死が明かしてくれるであろう
三度目の出来事にまみえることが、
とても大きく、絶望的なほど捉えがたい
二度降りかかってきたそれらのように。 [F 1773 / J 1732, undated]

死者たちは死につつある者としてよみがえってきた。
[AO 56=191]

死にゆくこと、ささやかな、過ぎ去ったもの、
けれども生きていること、これが内に含むのは
幾重にも折り畳まれた死にゆくこと ─
死してあることの休息なしに ─ [F 1023 / J 1013, c. 1865]

反復される死の唯一の一撃。死が一度しか起こらないとしても、それは死ぬことが、その本質的な未完了態を、完了しえぬものの完了態を通じて、終わることなく再開し、その反復が数えられないという仕方で、自らを反復するからである〔…〕
[PA 133]

誰でもないもの
二人のコーパスのある局面には、反復される生と死の絶えざる回帰について、そして不死性について──両者の地理 ­ 歴史的な隔たりを介して──秘かに、あるいはかすかに照応しあう記述や断片が散在している。しかし、管見のかぎりで、それらのあいだにありうべき詩学 ­ 存在論的な連関が表立って論究された形跡は見当たらない。
むろん、それらは特定の時代を生きた一部の芸術家たちに限定された関心ではないだろう。むしろ、そこに生じているのは、ひとが自己自身との関係を欠いてしまうために、個体化された「私」や「誰か」のような有限の主体性がそこから脱落し、誰であれかまわないものと化した非人称的な特異性だけがそこを通過しうる、そのような経験の場である。

作家は、とひとは言う、「私」と言うのを放棄する、と。
[EL 21=17]

何という寂寞 ─ 誰かとして ─ 存在することは!
[F 260 / J 288, c. 1861]

私は生きている ─ と思う ─
〔…〕
何という無限 ─ 生きて存在することは ─ 二折りの ─ 私に起きた誕生 ─
[F 605 / J 470, c. 1863]

「私は生きている─と思う─」と詩人が書くとき、彼女は、人称的(パーソナル)に現実化された個人の生からすでに乖離しつつあり、「誰か」(何者か somebody; quelqu’un)であるかぎり決して経験できない前個体的な経験へと降り立ちながら、そこから透明にして空虚な情動を汲みとっている。「誰か」から引き離され、「本質的孤独」へと還元されたこの非人称性の経験において、あらゆる人称や固有名が告げているのは、私たちの誰もがそうであるように、誰でもない者のことである[5]

私は誰でもない者! あなたは誰?
あなたも ─ 誰でもない者? [F 260 / J 288]

匿名の手によって書かれることをやめないこれらの「文学空間」において、作家たちの名と署名、そして彼らのテクストの中で語る「私」の声は、私たち自身のものとなる──そして「私たち」自身もそれぞれの「私」からすでに引き離され、「誰でもない者」へと奪 – 所有化されつつある──私はひとえに私なのではなく、「あなた」や「彼女」がそこに共立しうる空虚な場、主体化されえぬ情動の流れが通過する空(から)の器と化す。「「非人称的」という言葉〔…〕死が自らをかぎりなく変質させる透明さの核心」[EL 194=206]。死のかぎりない変質は、しかし、自らを生へと無限に近づけていくだろう。ひとつの生の述語場は、生きていることと死んでいることのあいだで識別不可能となり、主語域は相異なる人称たちによって潜在的に横断された所在なき閾へと変貌していく。

「私は生きている。いや、君は死んでいる。」 [IM 17=11]

閾の上で、おそらく外からやって来ながら、二つの若い名、二人の 人物 (フイギユール)のようなそれらが、ガラスの向こう側にあって、内部にいるのか、外部にいるのか、私たちには断言できなかった、なぜなら誰も、私たちからすべてを期待している彼ら以外に、私たちがどこにいるのかを言えなかったからだ。 [PA 138]

死ぬことができず、永遠に死にゆく
閾の上で、「誰でもない者」と化したひとの生は「無限」である、という。それは、「誰か」である私たちの有限の生とは異なり、一度きりの死によって終わることがない。この死の反復、死ぬことの不可能性は、ブランショの散文において、死ぬことの経験の内に「永遠に」留まるという常軌を逸した、それでいてこのうえなくありふれた、遍在する「限界 – 経験」の諸相として繰り返し辿られていく。
死は、他ならぬ「私」自身の死であるとすれば、自分の能力の限界を画する出来事として理解されうる。それは、ブランショがしばしば参照していたハイデガーの『存在と時間』での特徴づけによれば、何かにかかわろうとする人間的実存のすべてが不可能になることの可能性であり、「実存一般の不可能性としての可能性」である[同書第53節]。これに対し、ブランショが執拗に問い、書きつけていったのが、あらゆる可能性の不可能性としての死であった。それは私の死それ自身からも可能性を剝奪する不可能性である。
したがって、私は死ぬことができない。一瞥したところ不条理とも見えるこの命題は、しかし、ひとが死にゆく過程を仔細に辿ってみると、むしろ理にかなったテーゼであることが明らかになる。ブランショは、たとえば「自死」の過程を考察しながら、私の死の不可能性が露出する地点を次のように記している。「私が自らに死を与えるとき、おそらくそれを与えるのは「私」であるが、それを受けとるのは私ではなく、私が死にゆかねばならないのは、私の死─私が与えた死─でもない」[EL 134=140]。つまり、私は自己の死を準備し、自らを死へと導いていくことはできるが、死がこの生を断つ瞬間そのものを決定する権能を決して持ちあわせていない、ということである。ここに記述されているのは、死という同じひとつの 場(トポス)が、出来事としては「二重の死」に分割されて生起するという、死の経験における「根本的な転倒」の場面である[EL 133, 200=139, 214]。
すなわち、一方には、自己に固有の死がたしかにあり、私は死ぬことができる─あるいはそう信じられている。私は、自己の諸可能性の極限として理解されたこの不可能性の可能性を、過去を担いつつ未来へと先駆するこの現在において決定的に引き受けることで、有限の自己の時間性を本来的なものへと時熟させうる。
他方には、自分の死なるものが決定的には到来せず、ゆえに私は死ぬことができないという、「到来しないものとしての死、もしくはあらゆる可能性の不可能性へと回帰するものとしての死」の運動がある[ED 114–15]。リルケは『マルテの手記』にこう記している。「私にとってもはや何も、死ぬことさえ可能ではない」[cf. EL 168=177]。ここには、私の経験のただ中にあって非 ­ 経験の「秘密」に留まる次元への決定的な「飛躍」が捉えられているという。そこにおいて「私 je は死なず、私は死ぬ能力を失っており、ひと on が死ぬのであって、ひとは死ぬことをやめず、終えることがない」。そこには「固有の死ではなく、誰でもかまわない死」がある。しかも、そこには実存者に生の意味を理解させる時間的 ­ 目的論的な〈死への存在 Sein Tode〉という方向が欠けており、ゆえにひとは「現在なき時間」の内に無意味に、そして無為に保留されつづけることになる[EL 133, 200–4=139, 214–15]。死ぬことは有限の時間内に起こりえない──「死ぬことに今はない」[PA 148]──それは非の潜勢力への無限の滞留であり、「永続的な無為」[EL 134=140]の内に放棄されることである。
二重の死がある。死の可能性─私に固有の終焉。死ぬことの不可能性─ひとがそこに留まりつづける不死。この二者のあいだで、おそらく、時間の内なる外で二重(ふたえ)に揺れ動く瞬間、「時間の中での時間の外」として、永続的に反復する瞬間が、すなわち「永遠」が分有されるのだろう[cf. PA 8; ED 220. 強調引用者]。

死ぬことの瞬間において不死、なぜなら死すべきものたちよりも死に近いために─死に現前して。
「彼らは死ぬことができない、未来を欠いているから。」
[AO 140=268]

私の能力の極限形式であった死は、この私を、何かを始めかつ終えることさえできる私の能力の外に投げ出すことによって、この私を放棄するものへと生成し、そればかりか、私と関係がなく、私に対する能力もないものへ、あらゆる可能性が欠けたものへ、無際限なものの非実在性へと生成してしまう、そのような転倒を含んでいるのである。私が表象しえず、決定的なものとして理解することさえできない転倒、それは、その彼方へ回帰することがありえぬ不可逆な移行ではない、なぜなら、これは完了しないものであり、果てしないもの、止まざるものであるからだ。[EL 133=139]

不死性の住処
個別の出来事は一度だけ起こる─これは端的な事実である。だが、存在するもののありようは、事実とその現実性や、必然的または偶然的な因果連鎖の内部に限定されているわけではない。
「私は可能性の内に住まう ─」(I dwell in Possibility –)[F 466 / J 657, c. 1862]というディキンソンの名高い表明は、彼女のコーパスが範例となるだろう文学的生の棲み込んでいる場所が、事実的なものに縛られた経験からの根本的な離脱によって初めて開かれうることを示唆している。「可能性」とはこの場合、やがて現実化されうるものの様相ではなく、反対に、時空的な場の内部に位置づけられず、この世界において実現されずに留まる非 ­ 様相的な〈外〉の形象である。
だが、この〈外〉は私たちが住まう世界の向こう側にある空間ではない。この世界あるいは宇宙の向こう側にさらなる外部が存在するという想定は背理に陥る。むしろ〈外〉とはこの世界という内在性の極限であり、──永遠を分有する反復のトポロジーと同じように──〈内〉なる〈外〉であって、詩人がその〈内〉に住まう「可能性」である。
ここに生じている基本的なカテゴリ間の揺れ動き──〈内/外〉のあいだの振動、極性をなす一方から他方への絶えざる回帰──事実として構成された経験からの離脱を促すこの「論理的な眩暈」は、「永遠回帰の経験」に属する 元エレメント素 たちの世界遊戯を分節化する思弁的な文法に通底する[EI 223=Ⅱ 132]。同じ型の論理的な振動が、それゆえ、たとえば「可能性」という基エレメンタル本的な形象においても働いているはずである。事実、「私は可能性の内に住まう ─」というディキンソンの詩句が、同時代の因襲から外れた撞着語法を受け容れるという彼女の詩的実践によってのみならず、権利上、不可逆の時間性に限定されない回帰と不死の次元で書かれる文学空間の必然性からして、〈不可能性の内に住む〉という詩的エートスと共在しうるものとなっているのはそのためである。

その輝ける不可能性
そこに住まうこと ─ 甘美な ─ [ F 348 / J 505, c. 1862]

現実の生は可死的(mortal)である。だから私は死ぬことができる──あるいはそう信じている。けれども、彼女の詩作は、この種の経験的な事実の集合によって限定された遠近法から離れ、「私」たちがその内に住まう〈可能性 – 不可能性〉の経験に導かれて、存在の秩序の最深部へと下降していく。「可死性の底方(そこい)に/不死性はある ─」(Mortality’s Ground Floor / Is Immortality –)[F 1250 / J 1234, c. 1872]。その詩作は、現実化した地平内へと目的論的に収斂しうる諸「可能性」を放棄し、まだないものへのかすかな期待とともに、未聞の不 – 可能な生のために自己を放下し、自らを解き放つ。

放棄 ─ それは身を切るような徳 ─
解き放つこと
現在を ─ ある期待のために ─
今ではなく ─ [F 782 / J 745, c. 1863]

死の不可能性の内に、不死の可能性の内に住まうべく、書き継がれているかに見えるこれらの歩みが、終(つい)の住処に到着することはないだろう。〈不死性の内に住まう〉という詩句が結実することは、いわば不死への問いを限界づけている彼方への「歩み」(le pas)に内含された両義的な否定性、歩みの「否」(le pas)によって、ほとんど禁じられている。可死的な世界の内なる外──彼方──は現実には存在せず、存在の裏面にあって見えない非世界に、「夜」に属している。ある種の文学は、この非存在の潜在的な多型性を言語に変換し、否定的に歩まれるべき「彼方[6]」の種子を存在の表面に植えていく。たとえば、とある虚構の人物はこう証言する。「彼方というものが、彼方を許容しないもののことだとすれば、私は本当に彼方にいる」。この「本当の夜」には、しかし、「当の夜を住めるようにするもののすべてが欠けている」[ThO 1 311=257 ; 2 123]にもかかわらず、夜へ、彼方に赴くこと。「おそらくすでに彼方への歩み」[IM 17=11]。かくして否定性の脇道に生い育つ〈外〉の似像は、世界をとりまく(不 – )可能性の暗い暈となり、「私」たちをその〈内〉へとかぎりなく退引させようとするだろう。「自らの内に閉じればそれだけ一層〈外〉に属するのだ、と彼は言う」[PA 141]。
内在的な生の極限に由来する不死について書くこと。それは詩作の形象に世界の光と公開性から逃れ去る特徴をまとわせる。環境に擬態する生命体のように、〈外〉の形象は世界の中で目立たない周縁部に自らの姿を消え去らせる。それは問うことすらできない「秘密」に、大地の下に埋(うず)められ見失われた「クリプト」の場に属しているというべきかもしれない[ED 53]。「教えてはいけない! 彼らは私たちを追放するだろうから」[F 260 / J 288]。小さな詩句に素描された詩人の透明な住処は、この地上で詩的に住まうための場所が─生前にほとんど読まれなかった彼女の作品たちのように─現実に存在する確からしい物たちの縁(へり)で幽かに立ち現われうるにすぎないことを告げている。

家をもたない
「人間は詩的に住まう/この大地の上で」──ヘルダーリンの後半生に書かれた文章中にこのような詩句があったと伝えられている[7]。「詩的に住まう」とは、「未知のもの」としての「神性」に照らして、自らの広袤を測りつつ、「天空」の下、「大地」の上で生きることをいう。しかしまた、同じ詩篇中には、詩的に住まうために言葉を調律するための「尺度」はすでにないのだとも書かれている。「神は天空のように明らかになりうるか?」──尺度としての神性を懐疑の試練にかけるこの問いは、啓蒙的理性の進展によって聖なるものの実定性が摩耗しつつある〈夜の時代〉の際(きわ)に据えられている。
ディキンソンの作品も、住処を建てるための詩的な尺度が私たちに欠けているという洞察に、彼女なりの仕方で触れている。すでに引用した詩篇の別の箇所で、「私」が住まう「可能性」の場は「散文より美しき家 」と形容されている[F 466 / J 657]。けれども、詩人としての「私」が生きうるのは、そのような「家」をもたず、またおそらく決して所有できないためである。

私は生きている ─ なぜなら
自分の家をもっていないから─
私自身に ─ ふさわしく ─ 授けられた家
他の誰にも合っていない家を ─ [F 605 / J 470]

詩作するとは、尺度に照らして言葉を測りながら、住処を原初的に建てることである──もしくは、そうであったのかもしれない。だが、それにふさわしい言葉を確言できるような「尺度」も「家」もすでに、あるいはまだ、存在しない。それでも、人間や人間ならざるものたちが惑星規模で技術的に徴用される時代にあってなお、ささやかな試みではあれ、「詩的に住まう」ことが呼び求められ、促されるのだとすれば──「私は住処を建てる」(エドモン・ジャベス)──その要請はどこからやって来るのか?

断片的、中性的
詩作する生が迷妄の内に見失われる〈乏しき時代〉、それは真理の理念や諸価値の可能性が直ちには通用しなくなる「 災厄(デザストル)」の時代でもある[EI 234=Ⅱ 147]。言葉は大地から引き離されていく。そのとき、しかし、ある種の言葉が断片的なものとして出現する。あたかも「認識可能な何ものにも結びつけられぬ未知の天空から引き離された、流星の破片」のように[EI 452=Ⅲ 51]。それらは社交的に通用する格言(マクシム)ではなく、非社交的な孤独の内部で洗練されたアフォリズムでもなく、反対に、あらゆる統一された全体の外で書かれ、したがって何らかの部分にもなりえぬ破片であり、自らとも不一致でありつづけるために、決して完成することのない言葉である
[EI 229–30=Ⅱ 139–41]。
断片的なものの経験、「善悪の彼岸にある、神々しい戯れ」(ニーチェ)[EI 248=Ⅱ 168]。それは通史的な意味での「時代」に制約されたものではない。生ける言語の境界から四散していくものを、尺度なしに言伝(ことづて)しようとする詩的な生が、道を見失って彷徨しつつあるとき、そこには断片的なものの要請がすでに閃いている。不確かな足どりで、「彼方」の間際を往来しながら、閾の線上に匿名の言葉の種子が蒔かれていく。テクストはやがて自らが告示しようとする事象の在と不在をともに意味し、かつ双方をともに否定することになるだろう──「存在なき存在」(être sans être)[EL 118, 338=124, 358]──断片的なものを構造化しているこの種の矛盾や袋小路(アポリア)、二律背反(アンチノミー)の局地的な生起は、永遠回帰における「論理的な眩暈」と厳密に同じものである。
標準的な論理学が無意味や誤謬推論を見いだすこの地点は、〈非知の知〉の様々な形象が書き込まれてきた 場(トポス)と部分的に重なっている。古代ギリシア哲学における「 場(コーラ)」、タルムード解釈の伝統における義人たちの住まう「 庭園(パルデース) 」──神が臨在するメシア的な宴──それらは知の秘教的な臨界であり、存在の外の形象である。しかし、

楽園(パラダイス)の存在について
私たちが知っていることのすべて
それは不確かな確かさ ─ [F 1421 / J 1411, c. 1877]

詩作の尺度を純粋に生起させるという不可能な要請は、ひとを言語の極限へと導いていき、不確かな確かさに覆われた非知の冥がりへ、「非 – 経験の経験」へと運び去る[EI 311=Ⅱ 248]。そこから、書かれるや否やすでに自らを消え去らせ、自らの外に逃れ出そうとする断片的なテクストが産出されていく。
これらは『終わりなき対話』のあたりからブランショが前景化させはじめた「中性的なもの le neutre」の思弁的論理に呼応するトポスでもある。それは、語源にあたるラテン語 neuterを参照すれば、「Aでもなく、非Aでもなく」(A ne uter ¬A)という、対立しあう二項をともに否定する論理を指しているが、同時に、そのような否定が働くためには、二項のうちの一方だけがそれぞれ、かつ双方ともに、あらかじめ肯定されていなければならない[cf. PA 104]。中性的なものは、そこで対立しあう二項のいずれも肯定されず、それでいて肯定されない二項が無効化されもせず、むしろ二項がそこにおいて揺れ動く〈二者 ­ の ­ あいだ〉(entre-deux)であり、かつそのようなものとして名指すや否やほとんど消え去ってしまう極小の関係を指し示している。それはひとつの関係であるが、それ自身において絶えず二者へと分割されており、関係それ自身からさえ自己差異化しているという非 ­ 関係あるいは〈関係なき関係〉において、同じひとつのものであると言わねばならない[8]
こうして、中性的なものの概念から、それ自身(メ ー ム)と非 ­ 同一的な同じもの(ル ・ メ ー ム)についての、あるいは起源の差異と言うこともできない差異、つねに差異化する差異についての、(非 ­ )関係論的な定式化が導かれる。「差異:同じものの非 ­ 同一性、隔たりの運動、逸らせつつ運ぶもの、中断の生成」[EI 254=Ⅱ 177]。
おそらく「不死」なるものの記述には、それが〈外〉との関係なき関係を捉えているとき、この中性的な関係性の論理が働きうるものとなっており、そこにおいて〈生 ­ 死〉の出来事は、自らへの非 ­ 関係という空隙によって断片化されつつ、それ自身を反復するひとつの出来事として経験されるようになる。絶えざる中断の過程に沿って、終わりは始まりへと回帰し、新たな誕生はかつての死にゆくことを再開する。永遠回帰の運動に他ならぬこの断片化する同じものの経験に沿って、詩人は言う、生の再開は文字通り「二度」目の誕生であり、しかも同じ「ひとつ」の出来事である、と──

彼らはまだ生きていない
再び生きることを疑う人々は ─
「再び」とは二度ということ
けれどもそれは ─ ひとつ ─ [F 1486 / J 1454, c. 1879]

同じように、やがて訪れるであろう「三度目の出来事」[F 1773 / J 1732]も、「二度」目の出来事と非 ­ 同一的な同じものであり、臨死の時に無限速度で回転する走馬灯が映しだす相似の分身であるだろう。ひとつの〈生 ­ 死〉が永遠に回帰する。同じもの、そして、同じもの……再び、永遠の二度(ふたたび)。思考不可能な幻影にまで高められた不死の経験。「馬車が乗せていたのはただ私たちだけ ─/そして不死。」「馬の頭は/永遠に向かった ─」[F 479 / J 712, c. 1862]。

二重化、永遠回帰
それゆえ、ひとつの「二重化 redoublement」の過程が生じている。「同じもの」がその分身たる同じ「二者」へと不断に生成しつつある。ブランショはこの時間なき運動が再開する時刻をも「夜」と形容していた。「夜という同じものの絶対の反復において、休息に達することのできない真の運動が生まれる」[ThO 1 311=257; 2 124]。
死は、私の死の瞬間に、「私」と「ひと」のあいだで二重化される。有限の死(mort)としての死、そして、無限に死ぬこと(mourir)としての不死。死という同じものの終わりなき反復、だが「死ぬことの瞬間において不死」[AO 140=268]──「死は一瞬のことだが、死にゆくこと(mourir)に終わりはない」[EI 550=Ⅲ 174]。
死というテクストの裏面、すなわち生という内在的な生地(テクスチユア)の平面において、非人称的なひとつの生はその尖端で自らを二重化する。ひとはそこで再生の兆しを一身に感受し、回帰の瞬間を通り抜ける。
「何という無限 ─ 生きて/存在することは ─ 二折りの ─ 私に起きた誕生 ─」、「「再び」とは二度ということ/けれどもそれは ─ ひとつ ─」[op. cit.]、「二つの生 ─ ひとつの存在 ─ 今」[F 264 / J 246, c. 1861]。
非世界の実在を記入する文学的な虚構は、自らの生と死の証言を試みる際に、それ自身の一般的テクスト性のただ中で、とりわけ書き手と受け手の死を越えて経験可能であるという書字の反復可能性のゆえに、構造上「生き延び」(死後の生 survie)との関係を必然的にともなう。「作品」にその生と死後の生への分割をともに担い、双方を不等価な仕方でともに救うという「課題」が生じうるのはそのためである。「バベル」の記憶──根源的な散種──を遺贈する思弁的「翻訳」は、これと同じテクスト ­ 出来事を異なる固有言語のあいだで遂行する。ブランショは生と死の双方に起きるこの二重化、あるいは自己脱構築された〈生 – 死〉を内的に区切る非対称性を、簡潔にこう定式化している。「生きていることなき生きること、死なき死ぬことのように(Vivre sans vivant, comme mourir sans mort)。書くこと(エクリール)は私たちをこれらの謎めいた命題に送り返す」[ED 206]。ブランショのコーパスのいたるところで鳴り響く「なき sans」という例外的な審級は[9]、ここでは〈生 – 死〉から個体的な現存を引き抜き、かつ時間を脱落させることで、〈生 – 死〉の 摂理 (エコノミー)をほとんど彼方へと超越する動きを、すなわち存在からの純粋な隔たりを代補する辞となっている。

時間を最大限に解き放つもの、つまり純粋差異、時間の脱落(le laps)、乗り越えがたい隔たり〔…〕生それ自身において十分に表現されえぬ sur-vie〔超 – 生〕、生の超過としての、生きることの超越(La transcendance du vivre)。けれども、それは他なる生の、他なるものであるだろう生の要求であり、そこにおいてすべてはやって来て、それに向かって、そこに帰りつつ、私たちがそこに回帰することはない。 [ED 163]

したがって、同じ(メーム)生の反復の内で、非対称的な他なる(オートル)生が反復されている。しかし、同一的なもの(l’identique)たちがそこに回帰しえぬ他なる生の反復は、同じ生の再来である。同じく、一方で「生きることの超越」は生の〈死への〉超過を刻印する。他方で「生きることの超越」は死を〈生の〉反復として刻印する。〈生〉と 〈死〉のあいだで、一方の中断が他方の再開を引き起こし、互いに他へと回帰することをやめない。かくして、思索と詩作がそこで回転する2つの形象たちが、時間性の破れを記しづける断片化された〈一にして – 二なる〉言葉として肯定される。永遠回帰、それはこうした「絶え間ない非連続性における、自らの永続的な二重化という戯れ〔作動jeu〕」を肯定することに他ならない[EI 245=Ⅱ 164]。

永遠回帰は生成することの存在を言い、反復はそれを存在の絶え間ない中断として反復する。永遠回帰は〈同じもの〉の永遠回帰を言い、反復は他なるものが同じものに同一化する迂回〔détour逸れること〕を言う─他なるものが同じものの非 ­ 同一性となるために、そして同じものが、回帰するなかで迂回し、つねにそれ自身と異なる他のものになるために。永遠回帰は〔…〕唯一者の永遠の反復を言う、そして反復を起源なき反復、再開として、そこで決して開始されたことのないものが、にもかかわらずそこで再開する、そのような再開として反復するのである。 [EI 238=Ⅱ 153]

「二者とともに真理が始まる」とニーチェは書いている[10]。しかし、永遠回帰の相のもとで観るなら、この二者は「然り」に応える「然り」であり、二重化されたひとつの肯定の婚姻から生まれる永遠の独り子であるだろう。それはまた神名の自己分裂を、バベルという名の混乱(バベル)を期せずして遺贈する。あの「おそらくすでに彼方への歩み」が生起するのは、二者の婚姻と離脱が識別不可能となる永遠の瞬間である。「あたかも彼の外の死が、これ以後、彼の内の死にぶつかることしかできないかのように。「私は生きている。否、君は死んでいる」」[IM 17=11. 強調引用者]。これらの異なる人称たちは、それぞれの生と死とともに、幾重にも肯定されることで強められ、回帰してくる同じものの変容した姿であるだろう。
ディキンソンとブランショのテクストに遍在する「二」者たち、終わりなき対話の語り手たちは、永遠回帰の迷宮から立ち戻ってくる独り子の分身である。「二人の証人のあいだの対話、二人とも同じもの(ル・メーム)にとどまりながら、生きておりそして死んでいる、生きている死者(mort-vivant [11])」。そうであれば、「ひと」はおそらく──「私は生きている」と語る非人称の声に応えて──「私は死んでいる」と証言することもできるのだろう。だが、それは死を「私は生き延びる」へと反復し、かくして〈生 – 死〉を永遠の不死性へと変容させることでもあるだろう。

夜、正午、朝
ブランショは不死の経験を──換言すれば、永遠回帰の相のもとで書かれることをやめない文学の空間を──「夜」への開かれとして描きだしていた[EL 168=177]。しかし、『ツァラトゥストラ』の歌「夜にさまよう者」によれば、永遠回帰によって完全となった世界において「真夜中は正午でもある」。他方、不死の永遠に向かうディキンソンの馬車は子どもたちが遊ぶ「日 Day」の世界を横切って行った。そして「ただ一度だけやって来る朝が/二度やって来ようと思案する ─/一個の朝(あした)に二つの夜明け/それは生に突然の価値を与える ─」[F 1645 / J 1610, c. 1884]。
光と闇のあいだで日が移ろい、循環する暦が区切られていく。それらは天空と地上に慣れ親しんできた人類が詩作した永遠回帰の似姿でもある。しかし、断片性の思考はこのような遺産をも懐疑の試練にかけるだろう。あらゆる全体性を問いに付すこの思考は、人類が、ひいては宇宙さえ、やがて消滅するという可能性をも引き受けなければならないからである[EI 233–34=Ⅱ 146–47]。
だが、そうであれば、断片化する思考は「夜」という、宇宙の闇の反映でもある地上の形象に留まるわけにはいかないだろう。しかし、地上から離れてどこか別の世界に住まうための翼を人類は発明していない。明日も、おそらく一日の始まりは朝によって、その最初の光によって告げられるだろう。そして永遠回帰がつねに再開であり、二度目の夜明けであるとすれば、反復され回帰してくる正午と真夜中は再来する始まりとして、したがって〈朝〉として経験されるはずである。かくして「夜」の文学空間を試練にかけ、そこから再び光が創造されうるのだとすれば、そこに回帰してくる同じものは、それ自身との純粋な差異において「覆された ─ 神性 ─」であるのかもしれない。

断片化すること──それは神そのものである〔…〕[EI 235=Ⅱ 149]

二人 ─ 不死であった ─ 二度 ─
少数であることの恩恵
永遠 ─ 獲得された ─ 時の中で ─
覆された ─ 神性 ─            [F 855 / J 800, c. 1864]

(哲学/現代芸術)

参考文献

* ディキンソンの著作からの引用は、2種類の全集版で整理された詩篇の番号によって出典を示し、おおよその成立年代を付記する。
* ブランショの著作からの引用は、略号に頁数を添えて出典を示す。邦訳への参照は[原文=邦訳]の順で頁数を示す。なお、は初版と新版をそれぞれ下付き数字の1と2で区別する。

Blanchot, Maurice. (Gallimard, 1941; 2005; [nouvelle version], 1978). 『謎のトマ』篠沢秀夫訳(中央公論新社、2012年)。[=ThO 1/2]
─. (1955; Gallimard, coll. « folio essais », 1994). 『文学空間』粟津則雄・出口裕弘訳(現代思潮社、1990年)。[=EL]
─. (Gallimard, 1962). 「期待 忘却」、『最後の人/期待 忘却』豊崎光一訳(白水社、1971年)所収。[=AO]
─. (Gallimard, 1969). 『終わりなき対話Ⅰ ­ Ⅲ』湯浅博雄[他]訳(筑摩書房、2016–17年)。[=EI]─. (Gallimard, 1973).[=PA]
─. (Gallimard, 1980).[=ED]
─. (Fata Morgana, 1994). 『私の死の瞬間』[=IM]、ジャック・デリダ『滞留』湯浅博雄監訳(未来社、2000年)所収。
Dickinson, Emily., 3 vols., ed. R.W. Franklin, (Belknap Press of Harvard University Press, 1998).[=F]
─. , ed. Thomas H. Johnson (Belknap Press of Harvard University Press, 1955).[=J]

  1.  Letter no. 319 [9 June 1866], 3 vols., eds. Thomas H. Johnson and Theodora Ward (Belknap Press of Harvard University Press, 1958), vol. 2, pp. 453–54.「 不死 」「不滅」を意味するimmortalityという語は、彼女のほとんどのテクストにおいて、語頭を大文字化したImmortalityの形で表記されている。
  2.  死への問いは、ブランショの文学において、論考「文学と死への権利」(1947–48年)のあたりから例外的な契機へと変貌する。他方、『私の死の瞬間』(1994年)で証言されている出来事の日付を参照するなら、死への歩みは第二次大戦中、1944年に不意に襲来したことになる。
  3.  「作家は死に、作品はこの死によって生きはじめる。作家は余分だった」[PA 122]。ここに言う「死」とは、生物学的な意味でのそれと同一のものではなく、原理的には不在や非存在、現前性からの消失を指し示す形象である。たとえば、書かれつつあるものは、それを書く者によってつねに読まれつつあるが、この 書字(エクリチユール)と 読解(レクチユール)の同時性と見える経験においてさえ、双方は区別されており、ゆえに一致しておらず、両者のあいだにはある隔たりが生じている。書かれたものが読まれるとき、それをかつて書いた者の過去の現前性は消え去っている。書字と読解のあいだで、書き手の生ける現在と不可分の「声」とその身体性─真の意図を伝達する 媒体(メデイウム) ─を純粋に確保することはできない。これは文学的なものの基本的な 摂理 (エコノミー)である。文学の場において─さらに、狭義の「文学」を超えて、書字の記入をともなう芸術や思想のあらゆるテクストにおいて─「作家」は、あらゆる 人物(フィギユール)たちとともに、個別の経験的事実への関連から分離された「名」へと還元されうる。Cf. EI vi, 416=Ⅰ9, Ⅱ385.
  4.  たとえば、デリダ「バベルの塔」における「純粋言語」とその翻訳の問題系を参照。「生き延びることの次元はア・プリオリである─そして死さえもそれを何ら変更できないだろう」。「私は在りて在るもの」[「出エジプト記」3:14]から『フィネガンズ・ウェイク』のAnd he warへと翻訳され、損なわれることで生き延びた「神名」それ自身の内的な分裂─「神は脱構築する」─言語への戦争 war を布告するその名は、大地に散種された諸言語のあいだに翻訳の、したがって生き延びの「要請」を立てる。「バベル:あなた方に極限を示しかつ44隠すことによって、あなた方に翻訳を命ずると同時に禁じもする神の名によって課せられた法」[Jacques Derrida, « Des tours de Babel », P, t.Ⅰ (Galilée, 1987; 1998), pp. 216–17, 234. 『プシュケーⅠ』藤本一勇訳(岩波書店、2014年)、302、 328頁]。
  5.  Cf. EL 27, 42=24, 40. それゆえ、テクストの内外に記入された種々の固有名や人称代名詞を、具体的な生世界における事実連関の内部で個体化された「作家」や「個人」などの行為者に対応させる史実的な叙述は、非人称性へと還元された記入の実践から根本的に乖離したままである。「作家、その伝記:彼は死んだ、生きた、そして死んだ」[ED 61]。
  6.  否定神学に近似した〈彼方への歩み=否 le pas au-delà〉を、そこに内含されている両義的な厳命を引き受けつつ問うこと、あるいは脱構築することは、そこで否定されている神学的なもののすべてを無効とするものではない。だが、「否定神学」なる観念をもっぱら実定的かつ否定的に特徴づける論法はしばしば、〈否定の道 via negativa〉に孕まれている二重拘束(ダブル・バインド)を一義的に解除するものとなっている。Cf. Derrida, « Comment ne pas parler – », t. Ⅱ (Galilée, 1987; 2003); « Pas », (Galilée, 1986; 2003).
  7.  この詩篇は錯乱期のヘルダーリンと交流した作家の小説中に伝聞のかたちで引用されたものであり、原文は残っておらず、また現在のところ文献学的には真作として確定されていない。Friedrich Hölderlin, »In lieblicher Bläue«, Bd. 2 ( J. G. Cottasche Buchhandlung Nachfolger, 1951), S. 372-74. 特異な伝承連関の中に置かれたこの作品のうち、「人間は詩的に住まう」という一節は、ハイデガーの思索において、詩作の本質への問いを主導する言葉として折にふれ取りあげられている。講演「…人間は詩的に住まう…」はその思索を最も集中的に展開したものである。cf. Martin Heidegger, »…dichterisch wohnet der Mensch…« [1951], Bd.7 (Vittorio Klostermann, 2000).
  8.  この種の「論理的」特徴が、理解可能性を範とする思考に包摂されがたいのは、二項間の振動として記述されるその運動が、言語や認知に固有の合理性に還元されえぬ実在のある局面に触れていることの効果であるからなのかもしれない。
  9.  Derrida, (Galilée, 1998), pp. 119–20. 邦訳『滞留』135–36頁。
  10.  フリードリヒ・ニーチェ『愉しい学問』森一郎訳(講談社学術文庫、2017年)、269頁、断章260番。Cf. EI 232=Ⅱ145.
  11.  Derrida, p. 130. 邦訳148頁。