《本と手紙の闘い》──到達ということ

2017年1月に開催された講座《本と手紙の闘い》
講師=郡淳一郎、前田年昭、平出隆
(書物論研究講座 本をつくる・歴史をつくるIII「ことば・郵便・アート」第3回)
テーマに沿って、ひとり十冊ずつ選書し、展覧した。
ここには平出隆のコメンタリーと選書書誌のみを抄出

到達ということ

平出 隆

 一人に宛てて手紙を書くことの中にすでに、「手紙」の一般的な性質を逸れていこうとするなにかがあらわれる。これが未成年の詩的覚醒の本質だという気がする。
 詩は、外部への便り、通信、挨拶、呼びかけの本質を備えている。しかし、言語における未成年はその中身が対象に届くことを信じてもいないし、到達を目的としているわけでもない。物として世界へ、空中へ投じることだけが肝要なのだ。はじめて詩が「本」になるときの様相から、そのことは容易に理解できるだろう。組版や製本や装幀への注力は、到達させることを至上と考えていないからこそ可能なのである。
 書き手と読み手という、二つの存在のあいだでの交信というシンメトリーは壊れている。壊れのあわいに「本」という幻のシステムが覗く。
 「手紙」は、それが投函される前から、到達の夢の挫折である。ディキンスン、カフカ、ベンヤミンはそれぞれ別の仕方で、しかしいずれにせよ到達の不可能を生きた。
 私なりのここ数年の実践的書物論の展開をふり返ると、自分にとって「最終の本」を人間にとっての「最初の本」のように構想しようとして、郵便の形態にぶつかった。しかし、それはあらかじめ絡め取られていた「到達の夢の挫折」の一齣かもしれない。
 美術における郵便に目を向けるのは、メールアートというジャンルのためではない。ダダからコンセプチュアル・アートに至る流れや今日的な造形意識がつねに「本」の方へ呼び寄せられているのは、むしろ言葉の人々とは反対に、そこに絵画や彫刻においては夢見られることのなかった到達への希望があるからではないか。

The Gorgeous Nothings: Emily Dickinson,s Envelope Poems
Ed. Marta Werner, Jen Bervin, Christine Burgin / New Directions, 2013,
A4判変型、二五六ページ、紙装上製
みずからを指して「これは世界に宛てた手紙、返事は来ないが」とその詩は語るのだが、その作者は時に、反古になった封筒の裏やフラップにも、詩らしきことばを書き付けていた。微妙にして深淵なる謎。

カフカ全集 第五巻 ミレナへの手紙
マックス・ブロート編、辻瑆訳、四六判、二四四ページ、クロス装上製、新潮社、一九五九年五月
全集の半分近くの分量が手紙である作家フランツ・カフカ。しかもその状態に、彼の文学の本質が露呈した。私たちのカフカに対する読書行為もまた、本と手紙との終りない争闘、その矛盾を生きる。一巻で代表させた。

ドイツの人びと
ヴァルター・ベンヤミン、丘沢静也訳、平野甲賀ブックデザイン、四六判、二二四ページ、紙装上製、晶文社、一九八四年一〇月
ファシズムの時代のドイツで、危機に瀕した思想家が変名で新聞に紹介した、一九世紀ドイツ市民階級の遺した偉大な手紙の諸類型。原書は一九三六年にスイスで刊行。

Affectt Marcel: The Selected Correspondence of Marcel Duchamp
Ed. Francis M. Naumann, Hector Obalk, tr. Jill Taylor, Thames & Hudson, 2000, A 4判変型、四二四ページ、紙装上製
デュシャンの書簡は、語られる芸術作品の計画に比して、それ自体はあまりにも月並な文面をもっている(フランス語と英語とあり)。彼が手紙を書いていること自体が奇妙に思えるほどに。

I Am Still Alive
On Kawara, Edition René Block, 1978, A4判変型、四一六ページ、布装上製
郵便アートにおいて緊急事態を構えること。しかも、制度の外在性によって決定的に蹂躙されることを求め、それに堪えようとする。届くプロセス、結果をも含めての “Still Alive”。

One Million Years
On Kawara, Editions Micheline Szwajcer & Michèle Didier, 1999, 聖書判、二巻、各二〇一六ページ、革装上製
過去百万年と未来百万年の年号を整然とタイプアウトする。過去の巻の献辞には “For all those who have lived and died”とあり、未来の巻には”For last one”とある。万人と一人とをつなぎ、また入れ替える、これは手紙の本質を持つ。

Catalogue of the World, 15th Edition
Donald Evans, 1976, A4判、三三八葉、限定三〇部、クロス装上製
架空の切手を描いていく仕事の裏に累積される分厚いデータ・ファイルだが、それ自体が郵便趣味のシステムを秘めた美しい本。架空の時間と制作の時間とがかさなる二重の世界(展示物は研究用の粗い複製)。

六ページの手づくり本、封筒付き(仮称)
若林奮、一一〇×一三〇ミリ、六ページ、限定一部、私家本、一九九四年
詩画集の提案をする折に、若林奮から河野道代に贈られた手製手彩色の「本」。署名、日付、三カ所の印章のほかに、本文にあたる文字はない。互いに構想しあうための雛型とされた。本を生み出すための、本によるプロポーズの「手紙」か。

葉書でドナルド・エヴァンズに
平出隆、横田茂装丁、A5判変型、一六八ページ、紙装上製、作品社、二〇〇一年四月
葉書だけでできている本文。きりのない、とめどない、輪郭のない作品。それが本となるためには、事後の長い時間による仲裁が必要だった。それは、時の連続性を断ち、暗黒の土台を露呈させるための間伐。

«via wwalnuts» 叢書
平出隆、A5判、各巻八ページ、vww綴じ、洋封筒入り、限定七七七部、二〇一〇年一〇月創刊(現在二三巻)
郵便としての私的な姿をもちながら、本、すなわち公的刊行物であろうとする。読者への通路も二筋あり、切手を貼って投函する「郵便版」と、梱包して届ける「無垢版」と。

「書物論研究講座会報 ことば・郵便・アート」第三号 より
二〇一七年一月二一日発行
発行*多摩美術大学芸術人類学研究所・多摩美術大学芸術学科書物設計ゼミ