「初代門司駅遺構」の未来について

平出隆

 近代日本において、国際港と一体的に計画され、九州鉄道を管理する枢要としても建設された初代門司駅。この地域に残されていた重要な歴史的建築の多くは、戦後、門司市政の見識のなさによって次々と失われたという過去がある。その後の「門司港レトロ」事業の努力により、かろうじて歴史遺産の一部は残されたが、はるかに豊かであった海港都市の景観を知る人々は、戦後復興期の人為的な喪失の失策を永く嘆いてきたのである。
 このたび恩寵のように蘇ってくれた「初代門司駅遺構」を、未来へ向けて全面保存し活用しようとしないならば、あの失敗をまたしても重ねる愚挙となる。
 今日、遺構保存・公開の手法と技術の革新はめざましい。世界の文化遺産の諸例に学び、市民と専門家が主導して、またとない遺産継承事業とすべきである。北九州市に一部移動案(=遺構破壊案)があると聞くが、論外である。

毎日新聞2024年3月2日付朝刊

平出隆さんメッセージ

恩寵のように蘇ってくれた

 北九州市が一部移築を進めようとしている明治期の初代門司港駅(当時の名称は門司駅)関連遺構についてのメッセージを、現代日本を代表する詩人の平出隆さん(73)=東京都=が発表した。戦後、門司の歴史的建築物の多くが失われたことを惜しみ、遺構の継承を訴えている。
 平出さんは旧門司市(現門司区)に生まれ、高校卒業までを門司で過ごした。両親は当時の門司鉄道管理局(現JR九州)で職場結婚しており、平出さんの故郷への思いは深い。2008年度に北九州市から文化大使を委嘱され、10年度からは市が主催する小中学生向けの「あなたにあいたくて生まれてきた詩コンクール」の最終選考委員も務める。
 メッセージは、遺構の現地保存を訴える日本イコモス国内委員会会員、藤原惠洋・九大名誉教授の求めに応じた。藤原さんは「詩的表現に託されたような意味深い内容を、市民の皆さんと共有したい」と話す。【伊藤和人】

メッセージ全文

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