海辺の物置小屋から世界へ

平出 隆 芸術人類学研究所所員

「野外をゆく詩学」の10年来の構想のうちにあって、その「物置小屋」は象徴的な位置を占めてきた。
 川崎長太郎は1901年、小田原袖ヶ浜海岸に近い魚屋の長男として生れた。1922年に上京し、アナーキズム系の詩人として出発したが、翌年の関東大震災の後、徳田秋聲に師事して小説に転じた。1938年より小田原へ引揚げ、「背水の陣」とみずから呼んで実家の物置小屋に起伏すること20年、ビールの木箱をくつがえした机につき、蝋燭の灯りで、主に私娼窟の女たちとの交渉を素材とする小説を執筆した。1950年代には「抹香町もの」と呼ばれる連作がベストセラーになり、その暮らしぶりまで注目を集めたが、簡朴な生きかたに揺らぐところはなかった。
 小屋の壊れ、赤線廃止、60歳での結婚によって、老境の文学はあらたな時空に入る。すなわち同じ素材や話柄でありながら、時間の漆をかけたような文章、あるいは文章そのもののもつ記憶を踏みなおすかのような燻し銀の書法が実現される。私はかつて、これら晩年の小説群の執筆に同伴した編集者の一人である。1985年の逝去の後も、夫人の川崎千代子さんとともに、川崎文学の真価を後世に伝えようとの相談をつづけてきた。もはや地上にない「海辺の物置小屋」は、本研究所による構想とかさなって以来、めざすべき標となった次第である。
 さて、小田原市との協働による本年度の展開は大室の記述に委ねるが、居住空間とエクリチュールとのかかわりを読み解く建築的視点の定位、日本の「私小説」の根源性の例示として世界へ発信する計画などが緒に就いた。反響は静かにひろがり、引き続き2016年に、都内の本屋カフェでの「小屋」の模型展示とシンポジウム、海外の出版者・研究者への翻訳の働きかけなどが進められることになった。
 「野外をゆく」の意味あいは、文壇や既成観念の箍をはずし、より透明な世界性へ向うことである。

Art Anthropology2016