image by Satoshi Sugitani
この講義「言語芸術論」は、本年度で定年退職となる私の「最終講義」の軸となるものです。
講義系の教員の「最終講義」は、年度の最後の、12月や1月に行なわれるのが通常です。私もそのように考え、12月10日木曜の2, 3, 4限をそれに充てることを想定していました。その日は、別にアートテークで12月24日まで開催を予定されている私の退職記念展の初日でもあるのでした。
退職記念展の仮題は《平出隆──空中の本へ》展としていました。そのアートテークでの展覧会オープニングに「Air Language program」と題した最終講義をする。これが私のここ数年の構想でもありました。
ところがこの春以来、世界は新型コロナ・ウィルスという未曾有の災厄に襲われ、人々が密に集まることは難しくなり、大学の授業から展覧会まで、これまで私たちの拠りどころだったリアルな場所を半ば奪われてしまった次第です。私の12月の展覧会も最終講義も、コロナ禍によって吹き飛ぶかもしれない、という可能性が見えてきました。その悪い可能性から逆算して、たとえそうなったとしても成果とはなるように、私は早々にすべての講義を「最終講義シリーズ」として年度初めからはじめてしまおう、という計画に切り替えたのです。4月開講が1カ月延期される間に、私は担当5科目が有機的に結び合うように、一本の軸を立て、軸に従って大幅に内容を組み替え、2月に提出していたシラバスをすっかり書き換えたのでした。
一本の軸とは、昨2019年秋から今年の2月までに書き継いだ比較的長い論考です。これはここ十五年ほどの間に、多摩美術大学で行なった研究発表の集成ともいえるものです。
その構想は次の通りです。
https://airlanguageprogram.com/fragments/colloquy/educ/last-lecture
したがって、この「言語芸術論」では、「野外をゆく詩学」第1~2節をテキストにし、関連する文献をも参照しながら、13回にわたって言語と芸術のありかたについて講義します。テキストを道としながら、そこに戻ることに拘泥せず、たびたび道を逸れたいものです。その度に、いくつものヒントを摑み、大きく主軸へと戻るはずです。
1 「野外をゆく詩学」とは──構想について (5月14日)
2 第1節「遊歩による構想」──「最終」の逆説について/「ポエジー」と「野外」 (5月21日)
3 第1節「遊歩による構想」──「生きた古代」と「根源の歴史」について(5月28日)
4 第1節「遊歩による構想」──「多方通行路」について(6月4日))
5 第1節「遊歩による構想」──詩と散文の二元論、領域を疑う(6月11日)
6 第1節「遊歩による構想」──詩を離れて詩を思考する(6月18日)
7 第1節「遊歩による構想」──ゲルハルト・リヒターからのアナロジー(6月25日)
8 第1節「遊歩による構想」──言語を基盤にすること(7月2日)
9 第1節「遊歩による構想」──エッセイズムによる科学・芸術・哲学の共通言語探究(7月9日)
10 第2節「詩的トポスとしての小さな家」──正岡子規、哲学から文学にわたる末期の眼(7月16日)
11 第2節「詩的トポスとしての小さな家」──伊良子清白、古層と新層の「零度」(7月23日)
12 第2節「詩的トポスとしての小さな家」──川崎長太郎、小説と記録の「零度」(7月30日)
13 第2節「詩的トポスとしての小さな家」──空虚な地上から「零度」の書物空間へ/ノヴァーリス−ベンヤミン問題(8月6日)
この科目では触れない、「野外をゆく詩学」の他の節の講義に関心のある学生は、このHP上の他の科目の聴講が自動的に可能です。